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最高裁判所第一小法廷 昭和27年(オ)634号 判決 1953年7月02日

東京都千代田区神田司町二丁目一〇番地

上告人

阿部正治

右訴訟代理人弁護士

下光軍二

同所同番地

被上告人

内沼米太郎

右当事者間の家屋明渡請求事件について、東京高等裁判所が昭和二七年六月一八日言渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負拠とする。

理由

上告代理人下光軍二の上告理由並びに上告人本人の上告理由について。

原判決の適法に確定した事実関係によれば、被上告人が本件賃貸借を解除する正当な事由があるものとした原判決の判断は、当裁判所においても正当であるとして是認することができる。(所論引用の判例は本件に適切でない。)その余の上告理由は、結局原判決の証拠の取捨、判断乃至事実認定を非難するか又は判断の遺脱その他単なる訴訟法違反の主張に帰し、(所論月五〇〇円とあるのは請求の趣旨訂正申立書(記録一一一丁)に照し月一〇〇円の誤記であること明白であり、また、上告人本人の上告理由中の判例違反の主張は、判例を具体的に示していないから不適法である。)、すべて「最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律」(昭和二五年五月四日法律一三八号)一号乃至三号のいずれにも該当せず、又同法にいわゆる「法令の解釈に関する重要な主張を含む」ものと認められない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 斎藤悠輔 裁判官 真野毅 裁判官 岩松三郎 裁判官 入江俊郎)

昭和二七年(オ)第六三四号

上告人 阿部正治

被上告人 内沼米太郎

上告代理人下光軍二の上告理由

一、原判決は理由不備の違法があつて判例に違反している。

第一審判決の事実摘示の部分に原告の請求として「……明け渡しずみにいたるまで、一ケ月金五百円の賃料及びこれに相当する損害金の支払を求めるため本訴に及んだ……」とあるが同判決の理由中「被告が昭和二十一年五月一日から以降の賃料を支払つていないことを争わないから、その後みぎ認定の契約終了の時まで約定の一ケ月金百円の割合により賃料並びに契約終了の翌日から建物の明け渡しの済むまで同率の損害金を支払う義務がある」と認め更に判決主文を見ると「昭和二十一年五月一日から明渡し済みに至るまで一ケ月金百円の割合の金員を支払え」とあつて五百円の請求に対して百円を認めて残余の額についてどこでどうなつたか判決の何処にもその判断が示されていない。而も原判決はこれを容認しているから結局理由不備違法を侵していると云わねばならない。

二、原判決は重大なる事実を誤認し判例に違反している。

1 第一審判決は上告人が本件家屋の一部を訴外中村産業株式会社に転貸し而も右会社と上告人は特段の縁故干係がないと断定しこの事実を強張して正当事由の一つの重要な原因にし原判決も又同様に縁故干係ないものと認定して同様結論に至つているが証人中村撰一、同生田久太郎及び上告人本人の訊問調書によれば前記会社の取締役であつた右生田の従弟と上告人が舊知の間柄であつたのであることが明瞭である。全く干係のない会社に使用せしめたのではない上に上告人が原審で詳細に述べているように当時の社会状勢から、又実際の使用状態から全く家屋賃貸借干係から転貸として取上げられるべき事実ではなかつたのである。これを一、二審判決は賃貸借人間の信頼干係を破るような転貸と認定したのは事実を誤認しているものである。

2 被上告人一家は本件家屋の上告人の占有以外の部分、即ち本件家屋の約三分の二に相当する部分を使用していて現に居住は勿論営業に従事しているばかりでなく同居人まで置きその同居人が被上告人と同種営業を営んでいることは各訊問調書に明かであるがこのことは現在の状態で居住並に営業が支障なく行われている証拠である。又被上告人自身も不便に過ぎないことを認め判決に於ても「立居が不便で」と云い乍ら「日常生活に極めて不都合である」と恰も全くこの状態では日常生活ができないように認めている。これは全く事実を誤認しているものであつて事実は二家族が現に生活し同種営業を営んでいるのである。不便であるということは他家族と同居している以上已を得ないことがありぜい沢を云えば限りがないし又現下の家屋事情では互に忍ばねばならないことであろう。

3 又原判決は上告人は通勤の身であるから特に本件家屋が必要ではないから暗に世田谷の父の家でもよいというような認定をしているが上告人の勤務先は神田青果市場であるから朝は未明から時には夜は全く夜半に青果物の運搬に従事しなければならないので普通の会社員の如き勤務ではないのであつて総ての交通機関を利用して通うということはできないのである。而も本件家屋の所在地附近では他に家屋を見付けることは全く不可能の状態にあることは公知の事実である。原判決はこの事実を誤認している。

三、原判決は正当事由についてその判断を誤つて判例に違反している。

前記二の2に於て述べたように被上告人は差当つて住居にも営業にも困つていないで単に不便なために明渡しを求めているのに対し上告人の方は勤務の干係でどうしても本件家屋の附近でなければならない反面この地では他に家を求めることは極めて困難であるばかりでなく経済的にも極めて貧しいので朝日新聞無料法律相談所の上告人代理人を代理人に委任した程である。両者の必要程度も比較にならぬ程上告人の方は悲壮である。忽ち路頭に迷うに至ることは明かである。これに反して被上告人の方は現在居住し(約三分の二を占有し)営業を支障なく営んでいるのである。住居、営業に支障があるということについては何等証拠はないのである。単に建増改造部分に於て立居が不便だというに過ぎないのである。上告人の占有部分を明渡して貰つたら都合がよいという程度である。これは「賃貸人がよりよい住居として賃貸家屋を自ら使用することを必要としても賃借人が明渡しによつて他に住居をもつことが困難な場合には正当事由がない」(昭二四、二、一六大阪高民一判決、高裁民集一巻二号十六頁)、「正当の事由の有無を判断するには先づ居住の問題に重点を置いて考察すべく別に住居を有する賃貸人が営業のため賃貸家屋の明渡を必要としてもこれによつて賃借人の居住を危殆に陥入れるべきは解約申入れの正当性を欠く」(昭二三(ネ)第三二九号二四年五月二一日東京民六)とか「賃貸人側(親族を含めて)が不自由であつても現に一応住居を有しながら尚賃貸家屋の使用を必要とする場合賃貸人の方がより必要とする程度が高いとするときは解約申入の正当事由はない」(昭二三、十二、二五広高民、高裁民集一巻二号一九二頁)という判例に違反しているというべきである。殊に本件に於て正当事由の事情になつた転貸については二の1に於ても述べたように全く知人から頼まれて仕方なく一時的に無償で使用せしめたに過ぎなかつた。従つて使用期間も短く本訴提起の頃は殆んど使用していなかつたのであり被上告人に於ても後にこれを取下げた程でありますし戦争中被上告人一家が疎開した後上告人が留守を死守した事情等を考えれば本件に正当事由ありとしたのは全く判断を誤つているものでこの点は法律の解釈を誤り多くの判例に違反したものである。

以上

昭和二七年(オ)第六三四号

上告人 阿部正治

被上告人 内沼米太郎

上告人の上告理由

本件原審判決は左のように判例に違反して判決をしている。

一、本件訴状の冒頭に原告は、(一)無断転貸 (二)賃料不払を原因として主張しておる。何れもそれ自体明渡を求むるに値する重大問題である。当裁判所もこの問題を重視し之が審理に長日時を費ひやし、原、被告双方の証人の喚召も之れが究明の為めであつたといつてよい。かくして審理の結果

一、賃料不払は原告が受領を拒否した事実を証言しておること、賃料を供託して送金したが原告之れを拒否したる事実が証拠に上つて明らかにせらるに至り原告の虚構の言ひがかりであることが直ちに立証された。

二、無断転貸に対し原告は之に対し何等具体的証拠は示されて居ない。専ら証言によつて立証せんとしたが原告側証人でそれを裏書するに足る証言は一つもなかつた。かへつて反対の事実を証言して居る。

殊に証人訴外阿部広吉(原告の親友で前借家人)は其の間の真相を詳細に供述し無断転貸の根拠のないことを明かにした。更に注目すべきは、原告本人の証言の中に当初被告との賃貸に当り原告は「賃料は無償でもよい」と提言しておることである。この賃料無償でもよいと云うことは広吉の証言の中にもある、又簡裁提訴の訴状の中にも明記してあり、この無償の提言は、被告との当初の賃貸に対し事前交渉のあつた事実を物語るものであり、また当時其の辺は尤も危険区域とされ後の借家人を求むるに困難で、現に塚越家族が一度こゝに避難して来たがこゝを危険として十日ばかり居つて逃げ出した程で其の後が全く空屋となり、当時空襲激しく、空屋のまゝ家を放置することは堅く禁ぜられておつた時で、原告が被告に対し無償でもよいと言ひ出した事はよくよく原告が窮した結果に外ならない。われわれとしては隣家に避難して来ており、しいてこの家を借りる必要もなかつたが、何日までも空家として放置され隣家として迷惑した事、一つは原告の懇請と、一つは罹災者が続出し一時的にもそおした避難者の為め居所を確保して置く意味で半ば義侠的に本件家屋を借りるに至つたのである。しかし借りるに対し家賃無償の提言に対しては、後日留守等と間違へられることがあつては困るので、適当の家賃を支払うことにし空屋である全家屋を借りるのであるが、家賃は前借家人広吉と同額にして貰ひ(四十五円)、敷金は広吉納入(広吉に末濟)のものを肩替りし広吉には敷金同額を現金にて支払つた(広吉証言)。当時空襲激しく社会は極度に混乱して居つたが、それだけにまた間違ひを起さぬ様被告等は周到の注意を払つたのである。従つて、無断転貸、賃料不払は虚構の云ひがかりである。もつとも原告本人自身は流石にそおした不当の言ひがかりを直接被告等に対しても、又法廷に於ても発言したことはない。この問題は原告本人の意思ではなく、原告代理人が訴訟戦術として採り上げたものにすぎないことは如上の事実によつてうかゞい知ることが出来る。しかし斯る明白な事実に対しかゝる不当な言ひがかりをするそのことは、本件訴訟そのものが如何に不真面で、単的に言へば悪質的性格のものであることを暴露するものに外ならない。しかし裁判はこれに対して何等の注意も払つて居ない。

のみならず、裁判は審理の結果につき何故かそれに対する判断を与えることを回避しておる。其の結果賃貸権の存否は不明のまゝ放置され、亦後の審理に重大な結果を招くに至たつた。このことは明らかに「判決の主文に及ぼすべき抗弁を提示せるに判決の事実の中に摘示せず且つ何等の判断を与へさりしは違法なり」に適合し、裁判は明らかに違法を敢へてしておるのである。

二、判決の末尾に「原告の請求は予備的原因について判断するまでもなく正当であるから之を許すことにした」予備的原因とは無断転貸、賃料不払の原因を云うのである。予備的原因としてこの二つの重大問題に対し判断する必要を認めず、判断を与えずして原告の請求を許したと云うのである。

請求原因として一次的、二次的の区分を主張したことは事実であるが、しかし何れも相互重大関連を有し、その真相を明らかにするためには請求原因の全般について検討する必要あるは云うまでもない。

裁判は一次的原因、即ち正当理由を主として判断したというが、訴訟の趣旨及其の構成より見れば訴訟の前提となつておるのは二次的原因、即ち裁判の言う予備的原因である。訴訟は無断転貸を理由に不法占拠を主張し賃金不払による債務不履行を原因とし解約を求めんとする重大意思表示をしておるのである。それによつて家屋の明渡を求め、正当理由は二次的のものに過ぎない。

本訴を以て自己使用を理由とする解約申入れの意思表示として正当理由中心に審理を限定し裁判を行なつた事は不法である。

三、当初被告居住認定として「被告は原告主張の日時に本件家屋に居住し」当初賃借の経緯につき判断を与えず、居住認定には原告の主張を其のまま認容しておるのである。元来原告は無断転貸を主張しておるのであるが、裁判も又それを認容するものであるとすれば不当も甚だしい。原告のこうした不当の主張に対してこそ被告は極力抗弁して来たのである。「重要なる争点及其の立証の為め提出せられ証拠の存否を無視し、之に何等の考慮を払わざるのみならす判断なきものを恰も之ありたる如く判示したるは不尽若くは法則に違反したる違法なり」に該当し、裁判は明らかに違法を犯すものである。

四、裁判は昭和二十年十一月一日附賃借契約は認めた。この契約こそ被告が原告の立場を考慮、衡平の精神の下に本件家屋の三分の二を原告に明渡し被告はその三分の一に甘んじ共同に使用することを約した更成契約である。同時に時代に即応し家賃、敷金の増額を計る等後日の紛争を防ぐべく万全の措置を講じ、斯くて本件家屋に関しては終戦直後一応の解決が出来たのである。

勿論期限等の附帯条件はない。然るに裁判は何故かこの契約に対し甚だしき曲解を加えておる。「被告との賃貸借は終戦後のことであり永く貸す意思もなく被告もそれを諒とし明渡条件として(イ)所有者使用の場合 (ロ)賃料不払の場合と記載した居住借用証を原告に差し出した」永く貸す意思はなかつたとする証拠は示されない。諒承したと云う指摘する条件の如きは普通一般に用ひられる条件で、(イ)所有者使用の場合の条件に意味ありげに取るのかも知れぬが之とて「自己使用の場合」というのと同異語である。契約全体の構成を見ても普通一般の期限のない普通契約である。裁判が理由なく曲解を加え、また曲解が前提となつて正当理由の判断の資料としたとすれば尚更不法である。

五、中村産業株式会社は満洲畜産公社の引揚者が内地引揚後政府の更生資金を借り結成した資本金二十万円弱の小会社である(被告の所に来たのは結成前)。原告は同会社に被告の店舖を貸したのは昭和二十一年六月中旬と主張しておるが、その頃は未だ引揚げて居ない。審理の結果同会社が店に入たのは二十二年四月始めであることが判つた。判決の下にも四月頃と明記してある。然かるに判決に其の日時の指定に「原告主張の日時に被告が本件家屋のうち原告主張の部分をもと被告中村産業株式会社に原告の承諾がないのに使用させたこと」指定日時と内容の実際の日時と甚だしく相違しておる。約一年余の日時の相違は内容判断に重大な影響を及ぼす。

裁判は同会社に店を独占さして営業させたということを理由にしておるが、同会社が店に来た昭和二十二年四月に未だ会社は成立せず引揚者団体として来たので其後会社が成立したが、会社成立後は移転先を極力捜がして居た。会社のした事について原告は証拠として趣意書を提出しここで営業したものの如く主張するが、そおした営業するには衛生設備と許可証が必要である。こゝにはそうした設備もなければ許可証を取つた事実もない。ここで営業したとする根拠はないし、営業の事実もない。

高裁判決に「同会社は畜産物及畜産加工品の販売を業とし原判決に記載された様に控訴人とは特段の縁故関係もない株式会社であると認められる」と。営業種目はそれに違ひないが、ここで営業したという事実はない。此の店で営業は不可能であるという商業機構を無視するものである。高裁も依然として縁故関係を問題としておるが、かゝる場合直接縁故者だけでなく知人、友人関係も成立するわけである。ことに引揚者としてあゝした場合色々な関係を求め奔走すること有り得ることで被告等の相手としたのは後の同会社社長中村撰一であり同常務生田久太郎であり父政一の友人関係から知つたものであるが知人関係として便宜を計つたものである。

店舖の使用につき店の全部を占有さした如く一審判決は誇張して主張しておるが、高裁判決は「解約申入れの直後にされた仮処分の執行当時には未だに本件建物の入口半坪の土間、次の二畳の板間、その次の六畳の部屋を控訴人と共同して占有しておつたこと」未だにという意味は少し不明であるが何れにしても始めからそれだけの店で、それが店の全部である。共同占有を認めたことは同会社に独占的に借したものでないこと、即ち被告の主張する被告等の店内の一部を利用さしたという主張を裏書きするものである。高裁は当時既に同会社社員の一人もいなかつたことについては触れていない。

一審、二審を通じて判決に引揚者関係のことが少しも明らかにされていない。元来最初被告の所に来た時は引揚者の団体であり被告も引揚者の連絡のために利用さしたものでこのことは審理に於て充分明らかにされておる。其後会社を結成したことは事実であるが会社としてはこゝで営業は出来ないから適当な所をさがすのに狂奔しておつたことは証人政一、同中村、同生田が其の間のことを供述している。中村の証言の中に、移転先きが見つかつたと思つたらそれが破談になり何日までも居座りの形となり半ば強制的の形となり被告に大変迷惑をかけておると供述しており、事実被告もそれがため無断転貸の責任を問わるることになり迷惑至極である。しかし被告としてはもともと中村産業とは関係はなく、被告との関係は同会社結成以前の引揚者団体で即対引揚者団体との関係である。二十二年四月頃と云へば復員、引揚者の最も盛んな時で、そうした場合店の一部の利用をさしたことはどこの家でもしておつたもので多い所では一戸で数件の連絡場所の看板を出しておるところさえあつた程である。かゝる場合被告の一部店内の使用関係を目して「法律のいはゆる転貸関係にあつた」ものとするは当時の社会情勢を無視するものである。最初の約束は二、三ケ月余りであつたが中村産業結成後移転先が見つからず延々約一ケ年余になつたが其の間移転先をさがすのに狂奔しておつたこと、こゝの店内では勿論営業したこともないし、被告等としては敢えて責むるわけにもいかなかつた。之を要するに引揚者の為め一時的便宜を計つたものでこの事実も法廷で充分明らかにされておるに拘らず裁判はそれ等一切を無視し、判決の中には引揚者関係のことは一切触れていない。たゞ其の表示に中村産業株式会社の名称のみを使用しいかにも一営利会社に利用させた如く仮装し無理に無断転貸を作り上げた如き感を与える。判決を見たゞけでは少しも引揚者関係のことは判らぬ、判決の公明を欠ぐ。

かゝる不公正の下に中村産業株式会社に対する一部店舖の貸借は無断転貸の関係にあつたものと断定されたことは不当である。

六、裁判は第一義的原因であるとし正当理由のみに限定して審理しておるが、前に述ぶる通り元来本件訴訟の請求趣旨は、単に正当理由を理由とする解約請求の意思表示と見るべきものでないこと、その前提に無断転貸、賃料不払の重大な主張をしており、広く全般に亘り審理すべきである。単に正当理由を原因として主張する趣旨であれば其の前提を撤回すべきである。仮りに予備的原因として不問に附してもよいことを意味したとしても、前提にかゝる主張をすることは裁判官に一つの予断を与えることになる。裁判がその前提をそのまゝにし正当理由のみに限定して裁判をしたことは不法である。

戦争中に関連する争議を解決することは慎重を要す。一つ明なことは戦争中原告は疎開地におつた事、被告は本件家屋に居住して居つたこと、このことは正当理由中判断資料の一つである。原告の疎開復帰を口実とするものであるが、原告の疎開実態、原告の昭和十九年三月早くも家を空にして疎開し、家は第三者に転貸す、疎開の理由に原告曰「金持は早く疎開し、貧乏人が残つた」と。原告の疎開地は原告の郷里で国道に沿ひ四十八坪の店舖と裏に住宅附六十坪余りの自己所有の家屋があり村では中流以上の生活者である。原告が早く疎開した理由も、終戦になつて家族等が三、四年も帰京しなかつた理由もこうした居住と生活の安定があつたゝめである。原告は明らかに逃避的疎開者である。この間の事情がよく判らなければ疎開復帰の藉口に誤らるゝことになる。原告が主張する疎開地にあつて未だに帰京できないとか、帰京したいとかいうのはすべてウソである。裁判が原告の疎開実態について何等の考慮も払つて居ないことは正当理由判断の責任を欠くものである。本件紛争の始まりは終戦の翌春昭和二十一年二月頃からで原告は家賃の受領を拒否し被告使用部分の明渡し工作を始むるに至つた。終戦後僅か半歳後共同使用契約後三、四ケ月を出でないのに斯うした行動に出でた。その理由とすることは僅かの感情の問題(一審本人証言)高裁最終廷原告本人訊問、早やすぎたる理由「半年か一年ぐらい借してもよいと思ふた」と何と言う放言であらう。原告の眼中には賃借権はない、たゞ恣意的我執あるのみである。しかも裁判は一審、二審を通じてこの紛争の動機についてしいて関心を払つていない。

原告の使用部分は本件家屋の三分の二倉庫を含み約四十坪余、原告自から使用すれば商売にも全家族居住にも差支ないわけで、原告もそれに満足し契約が成立したのである。しかして何時でも帰京使用し得る様室を明けて原告に明渡したのである。それを使用しなかつたのは原告の勝手である。前述の通り原告は何時までも疎開地にあり勝手に帰京しなかつたのである。今に至つて被告等が居るから帰京が出来ないものの如く主張するのは虚構である。裁判にはこの点が十分判つて居ない様である。判決に示されてある通り原告は一切に於て被告に明渡しを求めながら他方倉庫を第三者岡田商店に転貸し、二階に妹夫婦を住まわした事を認めて居る。原告がその後に至り帰京使用せんとするに当り狭隘を感ずるに至つた事は事実であるにしてもそれは原告自身が負うべき責任で、それであるからと云つて被告の使用部分を明けろという理由にはならない。かゝる場合に正当理由の成立しないことは従来の判例の示すところである。倉庫は何時にても明渡し得る関係にあるというし、妹夫婦は現在二階の八、八、六畳を使用しておりここは原告が起居の居室に使用していたもので、何故に妹夫婦に広い室を使用さして原告等が狭い所に甘んじで居るのか、御互に室の交換を計る等適当の努力を払うべきである。妹夫婦を入れるのもよいがそれは原告の責任に於て原告の可能の範囲内で為すべきで、妹夫婦を入れそれを理由に戦争中から賃借する被告等を追出さんとするは不当である。

高裁判決に「二階には控訴人の妹夫婦及び自己の娘一人が住んで居り」と裁判は妹夫婦を入れた前記実状を無視するものである。亦た高裁判は原告の疎開実態と終戦後何時までも疎開地に在つた理由につき釈明を欠ぐ。一審、二審を通じて原告が旧商売をするということが唯一の正当理由の判断資料となつておるが、終戦後各種商売の様相は変つており必ずしも旧商売が成立するものとは限つて居ない。終戦後七、八年になるが、原告はかつて本件家屋で旧商売をする計画も気配さへも見せたことはない。商売上生命である倉庫を今日に至るも依然岡田に貸し放しにしている事実は原告に旧商売をする意思のないことを示すものである。高裁最終廷本人訊問の際、原告はハツキリ旧商売はしていないことを明言している。しかるに裁判は依然として其の判決に「原告は旧商空樽商の再画をし」と旧商再画を理由としておるがこのことは明らかに裁判は本人の意図しないことにつき認否を決定するものである。

裁判は原告が旧商売を再画することを理由に五十五坪の全家屋の回収を認めんとするものであるが、倉庫を貸放しにし妹夫婦は二階の広間を占有し、いづれも終戦後入つて来たもので、独り被告等のみを追出さんとするは理窟に合はない。結局に於て原告の恣意的要求を無批判に容認するものに外ならない。被告が本件家屋明渡し後の行先きにつき一審判決は父の家が世田谷にあるから行く先きに困らぬとしておるが、現在起居しておる現実の実状につき何等の釈明をも試みず決定したことは余りに形式的に過ぐ。

高裁はこの事実をとりあげ再審されたが、家庭によつては別居生活の已むを得ぬ家庭のあることを理解していない。被告の場合は、母は一種の精神病者で本人が同居を拒むこと、病気のためにもよくない、家庭の平和を破る、そおした理由で結婚後十三、四年今日に至るも別居生活をしておる。戦争中東神田に住み罹災した時も世田谷に帰らず危険を犯して現在のところへおることになつた。この現実の事情を無視し、世田谷に同居可能の如く考えらるるのは依然として一種の旧家族制度にとらへられた形式論たるにすぎない。

高裁は現在の被告の職業につき被告は神田青果物運送会社に勤め朝早くから夜おそくまで自己の所有するオート三輪車を運転し青果の運送に当り一方車輛は常に勤め先きに置き通勤するものであるとし、通勤の言にとらわれ、通勤者であるからから世田谷から通勤すればよいとするもののようであるが、折角被告の職業を認識しながら普通の昼間の通勤者と同一視することは矛盾である。現在駅着荷物を取りに行くのに毎朝午前五時までに出かける必要あり、世田谷からは到底間に合わない。時間的にも世田谷に住むことは不便であり、元来被告は神田のこの地方に小僧時代から二十四、五年住んでおり神田は被告の信用基地であり、その為めこの辺一画の注文等もありそのおかげで新規職業であるが兎に角生活が出来て居り、店の回収が出来れば運送業として今少し発展を考えておるのである。

居住の明渡しは被告として生活の破滅を来たす。

父は高齢で(六十八歳)あるが今の経済状態では田舎に隠居しておるわけにもいかない。商人は商売する外道はない。終戦前後、店で漁網資材(代用品)をしておつたが二十四、五年頃より輸入品に押される、事業は不振になつた。しかし商売しておる以上盛衰は常であり、更に創意工夫をこらす外はない。但し商売の盛衰により賃借権に対し、とやかくいはれては困る。原審、父の商売が盛と認められないとか、高裁に於ては父の新規工夫の事業に対し簡単に店の必要を認めないとか、更生にあえぐ商人の苦悩と生活権を無視するものである。久男は昭和二十年高等商船学校卒、上級船員の一人で終戦当時より被告等と起居を共にし目下乗船、上陸の際勿論被告の所へ帰つてくるのである。高裁判決「常に船舶に乗組んで居て乗陸した際来る程度である事が認めらる」たゞそれだけであるが、それだから一定の居所はいらないとするものであらうか。仮り執行の際原告側はそおした主張をしたが、執行吏は上陸した時居所は要ることを認め、調書の中に明記し、それが仮り執行不能の原因となつておる。裁判が船員であるから居住不要とするは納得出来ない。

従つてこの様な点から言つても被上告人には賃貸借を解除する正当な理由はないものと云はなければならないのにこれを認めたのは多くの判例に違反している。

以上

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